背景 背景
会社概要

ご挨拶

「もうかりまっか」「ぼちぼちでんな」
そんな言葉が昔から船場の雑踏の中で数知れず繰り返されてきました。
船場・・・それは住所と言うよりむしろ大阪の中心、あのへんやん!と多くの人に
知ってもらえる今なお愛される地域です。
そんな船場のど真ん中で紅屋産業は祖父、福太郎が妻、加代子と商いを始めました。
新聞紙や紙袋で何でも包装していた頃、プラスチックの袋は珍しい時代でした。
紙の袋に比べて如何に丈夫で長持ち、中身が見えて水気も漏らさない、
そんな良いとこづくめの袋を世に広めるべく売って回ったと聞いています。
祖母が特に頑張って外回りしていたと聞きますから現代の女性活躍を先取りしていたようです。
これまで70年間、隣のビルから一度移転こそしましたが、祖父から父へバトンタッチを経てこの地で根を張って過ごしてきました。
会社はまったく大きくなっていませんが、地に足をつけ今日も地道に商いを続けております。
日本中の本当にたくさんのお客様に可愛がっていただき、これまで過ごしてこれましたこと、心より深く感謝いたします。
また、この先に出会う多くのお客様にもご縁をいただき、微かながら、しかし、しっかりと輝き続けたいと思います。
きっと役に立つ・・・紅屋産業を末永くどうぞよろしくお願い申し上げます。

代表取締役 西田三太

会社概要

社名 紅屋産業株式会社
所在地 〒541-0056
大阪市中央区久太郎町3丁目1-27
連絡先 TEL. 06-6251-5553 / FAX. 06-6243-1280
創業 昭和27年
設立 昭和30年11月19日
資本金 1,000万円
代表者 代表取締役 西田 三太
従業員数 12名
事業内容 各種包装資材・販促物関連の企画・製造販売・代理店販売

沿革

  • 1950年
    初代、西田福太郎が北区堂ビル8階にてポリエチレン袋の加工品販売開始。
  • 1951年
    ガスビル横、平野町へ会社を移す。
  • 1953年
    法人として「紅屋産業株式会社」と登記、住所を中央区北久太郎町3丁目三久ビルへ移し開祖。
  • 1967年
    塩化ビニル製のパジャマ袋、和装用衣類袋の販売が中心だったが、丸紅㈱の協力の下、ビニロン袋が一挙に弊社の中心商材へ。商権的にも優位に立て、岡山、愛知、大阪地区を中心に安定的な売上の確保につなげる。
  • 1977年
    ホイップクリームの絞り袋と口金をセットにした乳業メーカーへの販売が始まる。2018年頃までに約40年販売が続いたロングセラー品であった。
  • 1980年
    三久ビル建て替えに伴い、西隣にあるヒグチビルへ移転(現住所)。
  • 1983年
    二代 西田太一が代表取締役社長に就任。
  • 1987年
    電機メーカーのクーラーカバーを製造。
    当時は現在のエアコンのように年中使えるものではなくクーラーのみの機能だったため夏場以外はカバーを掛けて製品を保護していた。
  • 1991年
    副資材のパック販売サービスを開始。
    袋の製造販売だけでなく台紙やタグなども製造していたので、各商品ごとに必要なものをパックとしてJust in timeでお届けできるシステムを考案。今もなお好評をいただけている。
  • 1996年
    協力会社と連携を図り、中国との取引が活発化。日本製だけでなく中国生産の選択肢が増える。
  • 2000年
    カラー複合機を初導入、画期的に便利になる。
  • 2002年
    乳業メーカー様へ包装資材/販促資材/什器の販売を開始する。食品関連(繊維・アパレル以外)の販売が始まる。業務拡大に伴い、北区豊崎に倉庫を開設。
  • 2010年
    業務拡大に伴いヒグチビル5Fに倉庫を開設する。
  • 2015年
    三代 西田三太が代表取締役社長に就任。

TOP